月別アーカイブ: 10月 2009
乱歩歌舞伎「京乱噂鉤爪」観劇
松本幸四郎と市川染五郎の「京乱噂鉤爪(きょうをみだすうわさのかぎづめ)」を観た。 幸四郎、染五郎父子はなかなか野心的で、冒険に敢えてチャレンジをする。 この芝居は、江戸川乱歩原作「人間豹」をもとに、なんと主役は明智小五郎だと言う。 しかも時代は幕末、尊皇攘夷と開国佐幕が対立し血みどろの戦いを演じていた時代である。 そこに明智小五郎が登場して何をするのか。 歌舞伎の伝統芸をどこまで生かし、どこまでブチ破るのか。 面白いと思って観劇したのである。 主役は染五郎演じる人間豹だった。 人間豹は子供の頃、人間と豹が合体した生き物として見世物にされた。 その事の恨みでともかく人間達を、世の中を混乱させ崩壊させたいと願っているのである。 冒頭、当時流行っていた「ええじゃないか」の踊りのシーンから始まる。 庶民が苦しい生活から逃れる為に、「ええじゃないか」と踊りながら、伊勢神宮に参る。 或いは、伊勢まで行かなくても踊り狂う。そこへ、人間豹が現われて庶民達を次々に殺戮する。冒頭から衝撃的な場面である。 京都で有名な人形師がいる。名人で魂の入ったような人形を作る。 ところがその息子の代になってから、息子が金儲けに目がくらみ、父親の作った人形を次々に売る。ついには父親の生命をかけた形見の人形までを売ってしまう。 その息子の妹になるのが大子。大子は染五郎の二役である。 その大子が父親の魂が入った人形を売るのを大反対するが、ついに人形を売ってしまう。その形見人形を買う人物こそ鏑木幻斎である。陰陽師として朝廷に深く入り込み、実は天下を狙うくせ者である。この陰陽師と対決するのが松本幸四郎扮する明智小五郎だ。 問題の人間豹は、陰陽師の妖術にかけられて陰陽師の手先となっている。 一幕の終わりは人間豹がアクロバットのように宙吊りになり何回転もしながら、2階へ消えていく。この芝居の一つの目玉になっている。染五郎の演技はダイナミックである。 二幕では、明智小五郎までが陰陽師の妖術にかかって力を失ってしまう。 人間豹は染五郎演じる大子まで殺してしまう。 だが、最後に人間豹は懸命に陰陽師の妖術と戦いついには陰陽師を殺す。 随所に歌舞伎では見られない新しい試みが導入されている。 エンタティメントとしての配慮も充分凝らされていて、充実感を味わった。 なお、この芝居の演出は松本幸四郎、原案は市川染五郎である。 幸四郎・染五郎親子の思い切ったチャレンジは評価に値する。
金儲けは悪いことではない
私はひねくれものなので、このところ「倫理」と言う言葉が氾濫してるのがどうも気になる。 特にアメリカでサブプライムローンが破綻して、金融業界が混しリーマンブラザーズが倒産して金融パニックに陥った時から、この倫理と言う言葉が充満しだした。 アメリカの経営者達が金儲けばかり走り、倫理を破綻させてしまったのだと言うのである。 私は近江商人の末裔なので、「金儲けが悪い」と言われると、違うんじゃないかと言いたくなる。 企業という企業はどこも金儲けを考えている。金儲けを考えなければ企業は倒産する。 金儲けを考えない企業などは存在しない。 念を押しておくが、金儲けは決して悪いことではない。 私は幼稚園に上がる前から祖母に「三方善し、三方善し」と言う事を言われ続けた。 商人が金を儲けるには「三方善し」でなければならないと言うのである。 当時は「三方善し」の意味などはわからなかったが、「三方善し」と言う言葉だけは覚えた。 現在では、三方善しと言う言葉は割りあいによく耳にするようになった。 三方善しとは商人が金を儲けるにはまず「客にとって善し」そして「世間にとって善し」それで初めて「自分にとって善し」になる、という事だ。 まず、お客さんに喜んでもらわなければならない。 この商人から買った品物は質が良い、為になる、そして商人がとっても親切である、 と、お客さんが信用してもらう。信用してくれれば、二度も三度も買ってくれる。 つまり商売が持続する。 二番目は、世間にとって善し。 今の言葉で言えば、社会にとって善し、である。 社会とは、お客さんがいっぱいいるという事だ。 大勢のお客さんが、つまり社会がその商人の商品やサービスを信用してくれる。 となると、商売は繁盛する。 そこで最後に、自分にとって善しとなる。 つまり金が儲かるということである。 逆に言えば、三方善しでなければ金は儲からないのである。 ところが、アメリカの商売は日本とは全く違う。 アメリカやヨーロッパの国々は、キリスト教の文化である。 特にアメリカは、清教徒、つまりヨーロッパのピューリタン達がヨーロッパにうんざりし、 正しい生活を求めてやってきた国である。 彼らは聖書の教えに極めて忠実であった。 聖書には人のものは盗んではならない。人を騙してはならない。など多くの掟が記してある。 アメリカのビジネスマン達にとって、ビジネスとは聖書の教えに従って行うものであった。 それが倫理を守ることであり、秩序を守ることであった。 ところが70年代からアメリカの経済が不調になった。 80年代になると不調がどんどん激しくなった。 つまりアメリカで作った製品が売れなくなってきたのである。 逆に日本の製品がどんどん入ってきたのである。 アメリカ人の給料は高く、コストが高い。それに比べて日本の製品は質が高くて値段が安い。 つまり日本からの輸入がどんどん増えてアメリカの企業・産業界を強く圧迫するようになった。 80年代後半、日米経済摩擦が深刻化した。 これはアメリカの商品が売れず、日本の商品がどんど入ってくるので、アメリカが日本にイチャモンをつけたのである。 … 続きを読む
大衆の時代が終った
どのテレビ局もCMが減って非常に困っている。 新聞社も同じ事が言える。広告の数がどんどん落ちている。 その大きなきっかけは一昨年、アメリカのサブプライムローンの破綻に端を発して金融大パニック、そして実態経済も大不況となった。 それが世界中に広がり、日本も大きな影響を受けた。 そこで企業の業績が悪化し、とにかく出費を削減すると言う事で広告費が急激に減ったのだが、一年たって企業が前向きになっても広告費の落下は止まらない。 実は不況のせいではなく、消費者のニーズが大きく変わったのである。 例えばあるコンビニの経営者が言った。 大手のコンビニだが、このコンビニはテレビのCMを激減させた。 理由はなぜか。 テレビのCMはそのコンビニの存在を知らない人、そのコンビニがどんな商品を扱っているかを知らない時には極めて有効であった。 つまりコンビニの種類、店舗の数が少なくてまだ開拓すべき地平が広がっているときにはテレビでどんどん宣伝する必要があった。 しかし今やコンビニが市場を埋め尽くした。新たに開拓できる地平はない。 消費者は、或いはセブンイレブンにいきローソンにいき、ampmにいきサンクスに行く。いわば、色々なコンビニに浮気をしていく。 例えばセブンイレブンにすれば、ローソンやサンクスやampmなどに浮気をしているお客さんを、いかにセブンイレブンに集中させるか、つまりセブンイレブンだけに来るようにさせるかということが最大の課題になっている。 一度来店したお客さんにいかに満足してもらい、リピーターになってもらうか、ということである。 来店したお客さんにいかにサービスをよくするか、お客さん達のニーズをいかによく知るかそして値段をいかに安くするか、ということが課題になり、マス広告の意味がだんだんなくなるということである。 マスの時代が終り、かつて電通の藤岡和賀夫氏が言った「少衆の時代」が始まったのである。 大衆の時代ではなく少衆の時代になったのである。この少衆にどう対応するか。 大企業であればあるほど対応が難しくなる。どこも頭を痛めている。 何よりも頭を痛めているのはテレビ局や大新聞などマスコミである。新聞やテレビが始まって以来の危機がやってきた。 ここをどう生き延びるか、それは私自身の問題でもある。