村上春樹の「1Q84」を読んで

遅ればせながら、村上春樹の「1Q84」を読んだ。

上下巻で約1000ページ。読むのにも時間がかかるが、もちろん書くには大変な時間を費やしたに違いない。

上下巻で、200万以上売れているという。ところが、私の友人知人たちに聞くと、「読んでない」という答えが意外に多かった。どうやら、いわゆるインテリはこの本に拒否反応を抱いているようだった。

「読んだ」という人達に感想を聞いても、「何が書きたいのか良くわからない」「面白くなかった」、中には「読み続けるのが拷問のようだった」と言う反応まであった。

こんなに売れていて、しかもアメリカやフランスなど海外でもよく売れているにも関わらず、いわゆるインテリ達は拒否反応が強い。そこで、遅ればせながらも読んでみようと思ったのである。

初めの200ページ近くは正直言ってとっつきにくい。だが、そこを済むととても読みやすく、どんどん引き込まれていく。

こういうと著者に大変失礼だとは思うが、恐ろしく贅沢な道具立てを凝らした推理小説仕立ての恋愛小説であり、私は昔、大ヒットした佐田啓二と岸恵子主演の「君の名は」を思い出した。

主役は青豆という女性と、天吾という男性のスケールの大きい恋愛物語である。それが巧みに推理小説風に構成されている。実は、最初の200ページに、その後展開される推理小説の種が詰まっているのである。

200ページを済むとわかり易いと書いたが、最初の200ページも著者の素晴らしい筆力と贅沢な道具立てに引っ張られて、いわゆる飽きは来ない。

いわゆる、インテリという人々が拒否反応を持つのは、道具立てが贅沢すぎるせいかもしれない。

「1Q84」の骨子になっているのは学生運動、連合赤軍事件、そして山岸会、それがオウム真理教に至るのである。

つまり村上春樹は、若者達が全共闘として戦い、やがて様々のコミューンを作りそして宗教団体へと転じていく、この流れを描きたかったのであろう。

その流れの中で、青豆と天吾はある意味では振り回され、そこでお互いの愛をどんどん感じ取っていくのである。

二人は結局、結ばれない。

その意味では悲劇の物語である。

だが、読者である私達は、1000ページの中で村上春樹から数多くの刺激を受ける。知識も受ける。何よりも「生きるとは何か」という事を考えさせられる。

著者の音楽に対する凄まじい造詣がある。古典的作家の小説を実によく読んでいる。哲学についての造詣も深い。私は素直な人間だから、多くの刺激を受けて面白かったが、この辺がいわゆるインテリの反発を食うのかもしれない。

上下巻ともで200数十万部売れるのは、よく理解できる。

約1週間、村上春樹の世界を満喫した。

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